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6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1975-11-06 第76回国会 参議院 内閣委員会 第2号

終戦になりまして一年間は、日本の兵隊さんの傷病兵がいましたので、仕方なくというんですか、やむを得ず牡丹江ハルピンの病院で日本傷病兵の看護をしまして、二十一年の八月、その傷病兵の方が日本に引き揚げるとき、内地還送になるときに、当然私たちも帰さしてもらえると思って荷物をまとめたんですけれども、行く先は別々でした。

岡松八千代

1954-04-03 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

それから、南方遺骨の問題について委員長からお話がありましたので、簡単に申し上げますが、南方遺骨につきましては、一昨年の第十三回国会だつたと思いますが、その際の決議に従いまして、原則としましては、南方で戦没されました方々の遺骨内地に還送し、またできれば現地において慰霊をするという方針をとつておりまして、その方針の実現といたしまして、昨年初めには太平洋各島の遺骨内地還送及び慰霊が行われましたし、

鶴見清彦

1953-06-17 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

内地還送するいろいろな話が出まして、その都度現地におきましては喜び、あるいはその話が消えると意気消沈しては、いつ祖国の土が踏めるかと、はかない望みを抱きながら毎日を過しておる状態であります。  マヌス昂戦犯者を管理しておりますところの濠州海軍の収容所の編成は、所長が一名、これは現在ヘンリー少佐と称する現役の方がやつておりまして、その下に看守長、これは下士官であります。

松本寅太郎

1953-06-17 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

松本参考人 ただいま問題になりましたところの内地還送の問題で、マヌスにおきまして、きわめてエピソードを持つた問題ができ上りました。と申しますのけ、シドニー・サン紙新聞記者マヌスに参りまして、われわれ日本人戦犯者のその日その日の生活状態を次のように報導されました。

松本寅太郎

1953-06-17 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

御質問の、今までの経過を申し上げますと、昨年来数回にわたりまして、東京におきましては、各大使、公使、駐日代表に、外地におきましては、各使臣が、先方の外務大臣に、文書をもつて正式に、一般釈放並びに減刑、仮出所、あるいはマヌス島、比島モンテンルパに関する内地還送こういう点を非常に熱心に頼みました。その後も折あるごとに口頭をもつて頼んでおります。

広瀬節男

1953-05-30 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第2号

特にマヌス島から帰つて来まする戦犯の輸送につきましては、これは従来からも戦犯内地還送につきましては、我々これを拘禁いたしておりました国におぎまして、その経費を負担してこちらに送り還しておつたのであります。最近になりまして、濠洲政府が還します場合には、この経費の負担を向うがしないばかりでなく、向うでその船すらも出さないで、日本政府で船を出すように要請して参つております。

木村忠二郎

1952-06-25 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

そのほかに、結核患者がしばしば出まて、私のおる間に六名が内地還送になつております。この結核になりまして内地に帰るということは、非常に思いやりがあるといえばあるようなものでございますが、なかなか申請いたしましてから、すぐ許可になるかどうかということはわかりません。

北村義廣

1948-02-20 第2回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

天野委員長 それではその次に、ソ連大使館へ参りまして、衆議院海外胞引揚に関する特別委員会委員長としての挨拶の趣旨は、 一、まずもつて、一九四六年十二月上旬ソ連関係地域から旧日本軍所属軍人その他一般邦人内地還送が開始されて以來今日に至るまでの間に、約六十一万の同胞が無事内地に帰り得たことについて、貴大使館員各位を初め、邦人還送に携わられた貴國関係官の御努力、貴國政府の御好意に対し、衆議院海外胞引揚

天野久

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